太宰治の『人間失格』は意外と失格してないかもしれない話

日本の文豪の中でも特に太宰治の名前は有名だろう。
彼の代表作として『人間失格』が挙げられる。


「恥の多い生涯を送ってきました。」

太宰治『人間失格』

この一説はあまりにも有名です。
太宰自身の人生をベースとして、主人公である葉蔵の内面を描き出す不朽の名作です。

この『人間失格』の終盤で、主人公の葉蔵は脳病院に入院することになります。
ここで葉蔵が、自分は人間失格であると強く実感するシーンがあります。

自分はやっぱり狂人、いや、廃人という刻印を額に打たれる事になるでしょう。人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

太宰治『人間失格』

このシーン。
人間失格のラストシーンであり、タイトルの人間失格というフレーズが登場するというとても印象的なシーンです。

しかし、このシーンを読んで、私は思いました。

狂人でも廃人でも、人ではないか?

そうなんです。


狂人になろうが廃人になろうが、狂っていたり廃れているだけで、人ではあるわけです。

では、葉蔵は人間でなくなっていないのでしょうか?
そんなことはありません。

葉蔵は人間としては失格ですが、人としては合格なのです。

このことからいろいろと考えていきましょう。
まず、太宰は「人間」と「人」を使い分けています。
そして「人間」は葉蔵のように酒、薬、女などに溺れ、精神的にも肉体的にも堕ち、脳病院に入れられることで失格になるものです。
しかし、そんな場合でも「人」ではある。

私はこれらのことから太宰の考える「人間」と「人」の違いを次のように考えました。

「人間」は精神や肉体に異常があり、世間一般の生活を送ることができる人類のこと
「人」は単に生物の種として、人類であるということ

どうでしょうか?
狂っていても生物的には「人」ですので、脳病院に入れられ「人間」では無くなっても「人」として考えることができます。
「人間」の定義はもっと明確にすべきであるとは思いますが、今回はとりあえず「人間」と「人」を分けて考えるための定義ですので、これからより正確な定義を作り上げていく必要がありそうです。

いかがでしたでしょうか?
『人間失格』を読んでいてふと思ったことを少しだけ掘ってみました。
あくまで個人的な見解ですので、厳密な考証を行っているわけではありません。
そのため、至らない点も多いとは思いますが、少しでも『人間失格』や太宰治についての調べ学習に役立てているならば嬉しいです。

ありがとうございました。

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