
小説紹介
今回は長久さんの小説を掲載させていただきます!
長久さんはTwitterや小説家になろうで活動していますよ(*’ω’*)
今回掲載させていただくのは、長久さんの『人生の意味と幸福、大禍日々のキセキ』の第1話です。
もし興味を持った方は小説家になろうで続きをご覧ください。
人生の意味と幸福、大禍日々のキセキ
大病院に勤務する理学療法士――藤堂郷流(さとる)。
多忙な勤務にパワハラ、そして患者さんの幸福とは何か?
勤務の中で抱く疑問の数々に彼は――。
そして、オカルトやスピリチュアル好きな自身でも理解不能な現象にも襲われる羽目に。
波瀾万丈な人生の中で彼の選ぶ道はどうなるのか。
彼が歩む大禍日々(まがつひび)のキセキ
ローファンタジーヒューマンドラマ
1章1話
「……何も出来なくて、本当にすみませんでした。貴方は最後、何を思って逝かれたのですか?」
遺体が横たわるベッドの横で、スクラブと白衣に身を包んだ俺は問う。
答えが無いのは解っている。
奈落の底へゆったり沈んでいくような。何とも形容し難い無力感に空虚感。
全身にずしりと纏わり付く寂寥感を覚えながら、俺は時間の流れに身を任せている。今は言葉を発することすら億劫だ。
「死んだら、魂は何処にいくんだろう。死後は、感情も何もかも本当に無くなるのかな。無かったことになるのかな。だとしたら、幽霊や霊魂ってのは何なのだろうか」
一体どこに、俺がこの方にリハビリテーションを提供した意味があったのだろうか?
この方に俺は理学療法士として、何を回復したのだろうか?
この方に何を与え、対価のリハビリテーション料を頂いたのだろうか?
この方は何を思って『生命活動を続けさせる環境』を強要されていたのだろうか?
この方が歯を食いしばって『生きた意味』は、『幸福』はどこにあったのだろうか?
「――いや、オカルトを信じすぎか。仮にも科学的根拠に基づいて仕事をするリハビリテーション科が言うべき言葉じゃなかった」
リハビリテーションという言葉の意味するところは『全人間的復権』。
異端者と決めつけられ、拷問具が並べられた塔に一年間以上もの長きに渡って監獄された少女。
物理証拠も法的根拠もないままに、火炙りの刑に処された。
時の権力者は捕虜解放の身代金を払えなかったのか払わなかったのか、そんな事はどうでもいい。
ただ、フランスの村で暮らしていた裁縫が得意な少女であるジャンヌ・ダルクが「フランスの救世主となれ」という神の啓示に従い必死に行動した結果、齢十九歳にして命を落とした。
彼女は本当に神の声を聴いたのだろうか。
声を脳が認識したとしたのなら、その声の主は本当に神だったのだろうか。
彼女は何度も神や天使、精霊の声を聴き――その上で敗戦、捕虜になったという。
今となっては分からないし、彼女が亡くなった今となってはどうでも良いことだ。
結論ありきの裁判によって異端者と認定されてしまったオルレアンの乙女。
彼女の生涯の終え方は、余りに残酷だった。人間としての権利など無いに等しかった。
これ以上無い悪評を流布された彼女に、人間らしい生き方も最後も用意はされなかった。
救国の乙女と敬われたジャンヌ・ダルクは神の名を叫びながら、群衆に裸体を晒され凄絶に息絶えた。
足下から迫る炎と煙に包まれ、視界にはかつて愛し守ろうとした人々を映していた筈だ。
服を着る尊厳も弁護士をつける権利も与えられず、処刑が始まった彼女の無念さはいかほどのものだっただろうか。
誰一人として己に手を差し伸べてくれない絶望に包まれ、人間として扱われず、神の名を呼びながらこの世を去った。
無残な黒焦げになった遺体を群衆に晒され、死後まで尊厳なく辱められた。
しかし、彼女の死後二十五年が経過し再審が行われた。
そして彼女は異端者であるとの宣告が取り消し無罪となり復権、五百年程後には聖人に列聖されたのだ。
そんなジャンヌ・ダルクが無罪であると判決を降した裁判にリハビリテーションは端を発する。
この時に行われた再審こそ、世にいう『リハビリテーション裁判』と呼ばれるものである。
つまるところ、リハビリテーションとは『再び適したものにする』、『再び相応しいものにする』という意味を持つ。
広義の意味で考えれば、犯罪者の更生訓練、失敗した者の復帰もリハビリなのである。
だが、現代の日本医療界においてリハビリテーションとは『基本的身体機能の回復を行うこと』、『再びできるようにすること』と捉えられている。
第一次世界大戦で負傷した兵士を再び戦場に早く送り出すための兵士リハビリテーションが分水嶺だったのだろうか。
長い年月を重ねるうちに原点である『名誉の回復』、『権利の回復』は失われた。
少なくとも、俺はそう思う。
そうでもなければ、日々俺の前で繰り広げられているのはなんだ。
日々、俺がしていることはなんだ。まるで罪人を叩く地獄の鬼になった気分だ。
目の前の患者さんには『名誉と尊厳を持ち死ぬ権利』すらない。
背は胎児のように丸まり、身体中の関節が固まっている。
異様な格好から動かせない遺体。
きっと立派かつ必死にここまで生きてきた。
子をなし育て生きてきた。
その最後の姿が、この姿なのか。
ご遺体の脇に家族が置いていった在りし日の元気な家族写真に映る人と、今、目の前で息絶えている人の姿は全く重ならない。
尊厳、権利、名誉。
そんな美辞麗句や理想、臨床現場においては現実的ではない。
改めて問いたい。
回答をくれるなら誰でも良い。
「一体どこに、リハビリテーションを提供した『意味』があったんだろうか? 俺は、患者さんの何を『回復』したんだろうか?……俺はなんの為に、痛がる患者さんにリハビリをしてきたんだ」
俺とジャンヌ・ダルクの死を見ていた民――或いは審問官や拷問官にどれほどの違いがあるというのか。
「やるせないな……」
手に取ったのは、置き去りにされた家族の写真。
どこかの温泉へ家族旅行に行った際に撮影した一枚だろうか。
孫を愛おしそうに腕へ抱き、しっかりと二本の足で地に立ち満面の笑みを浮かべている。
病床で寝たきり状態でも、この美しい写真を患者は見ていたのだろうか。
自分では顔の向き一つ変えることすら出来なかった患者は、ふと在りし日の写真が視界に入った時、何を感じていたのだろうか。
言葉を発する自由もない中で、一体何を思っていたのだろうか。
何を思って、この世を去ったのだろうか。
「――さっくん。何してるの?」
「雪……」
カーテンで閉じられ、遺体と俺しかいない空間に入ってきたのは、交際を開始して半年になる後輩理学療法士の多田雪だ。
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